2013年11月29日金曜日

治療中に絶対に装備すべきもの、死への覚悟

あなたは、トラブルに遭ったときに
どう対処しますか?



私の最初の事業は失敗した。

二回目の事業、福岡に来たとき、
当てにしていた売り上げが、
リーマンショックで0になった。


売上が0なのに
毎月、約100万の支払いがあった。

資金繰りとは
こんなにつらいモノかと思った。

なにしろ、
月末にやっと支払いを終えると、
来月の請求書がやってくる。

カネはない。

借り入れは膨らんでいく。

600万あった現金は
すぐになくなり、
600万ほど持っていたファンドも解約した。

さらに、銀行から
合計500万借り入れた。

私は軽いうつ状態になった。

息が吸えないという、
パニック障害にもなった。



このとき、私は
3つの精神的なロジックを組み立て、
それに従って、このトラブルを受け入れ、
解決を図った。

少しずつ事業は好転し、
今では笑って話せるようになった。


3つのロジックとは

1、最悪の事態を想像する。

私にとっての最悪の事態とは、
会社を倒産させ、
自分が破産することだった。




2、どうしてもの時は、
1で想像した最悪の事態を
受け入れる覚悟を決める。

会社を倒産させ、破産する。
悔しいことだ。
私のことを無能だと
あざ笑うヤツがいるかもしれない。
これまで支えてくれた妻にも
申し訳ない。

しかし、破産したって、
命まで取られるわけではない。
メシを食うには困らない。
仕事はいくらでもある。
バイトだって、運転手だって、
やろうと思えばなんだってできる。

事業はまた、やり直せばいい。
借り入れだって
5年たてば起こせるようになる。

よし、ハラは決まった。


・・・とここまでを、
毎晩、座禅を組み瞑想しながら
自分に言い聞かせた。




3、最悪の事態に至らないために、
最善の努力をする。

ハラが決まれば、
やることは一つである。

仕事だ。

毎日、トラックに乗った。

油まみれになった。

少しずつお客さんが増えてきた。

現金が出ていくよりも、
入ってくる方が多くなった。

1年で、メシが食えるようになった。

2年で、営業黒字になった。

3年で、トラックに乗らなくなった。

あの時借りたカネは、
去年すべて返し終えた。

4年かかった。





この経験はがんになった時に、
おおいに役に立った。

がんが発覚した時、私は

1、最悪の事態を想像した。

今回は最悪の場合は死だ。

それがゲームの終わりだ。





2、どうしてもの時は
1の事態を受け入れる覚悟を決める。

ひとは皆、死ぬものだ。

少し周りより
早めに逝くことになるが、
それは運命だからしょうがない。






3、最善の努力をする。

がんに関する様々な本を読み漁り、
情報を集めた。

ネットも使った。

週刊誌も読んだ。

ただし、本やネットは
5年以上前の情報である。

学会に論文が発表されて、
エビデンスが確立されるまで、
薬であれ、治療法であれ5年はかかる。

そこで得た情報をもとに、
Q大病院の複数の医師に様々な質問をした。

彼らはがんのプロ達である。
現場の生の臨床経験から得られた
知識、知恵が聞ける。


こちらが、
勉強をし、紳士的に敬意をはらい、
科学的に質問すれば、
丁寧に答えてくれる。

病棟内のラポールの構築にも励んだ。

ナースセンターに
「これ、ウマいんだぜ。」
と言ってケーキを差し入れた。
受け取らないときは、
「オレ、糖尿病なんだけど、
殺す気ですか^^?」
と言った。
彼女たちは
人助けをしたんであって、
賄賂を受け取ったわけではない。

ケーキを掃除のおばちゃんの前で
ナースセンターに差し入れた後、
掃除のおばちゃんに
「ちゃんと、おばちゃんの分も用意してあるよ」
と言って別の美味しいお菓子を渡した。

仲間を全員大事に。

私には、2つのがんがあり、
転移病巣(これは後に良性と診断された)もあった。

Q大の医師たちは多忙の中、
科を縦断して私一人のために、
毎日のようにカンファレンスをしてくれたらしい。

看護師さんは、献身的に看護をしてくれた。
時には、1時間以上話を聞いてくれた。

掃除のおばちゃんは術前、
差し入れをしてくれた。

こうして、私は手術に臨んだ。


病との戦いは現在も継続中である。

仲間のためにも
負けるわけにはいかない。



がん治療において、最も大事なことは、

死への覚悟を決めることである。



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