2013年11月30日土曜日

転移、手術不可能

今朝の続きです。

↓記事はコレ。

http://inochigakenogame.blogspot.jp/2013/11/blog-post_30.html

(カンファレンスルームに
呼び出されたところです。)



ところが、部屋に入ったら、
お医者さんが3人座ってて、
看護師さんも2人立ってる。

で、みんなシリアスな顔してる。

さすがに、ヤバいかもって思ったね。

でも、オレはビビりだから、

「おー、皆さんおそろいで、
今日はどうしたんですか?」

って笑顔を浮かべながら言った。

ところが、誰も笑わない。

T
先生が

「大目玉さん、まことに残念ですが、
手術はできなくなりました。」

「背骨に転移巣が見つかったんで、
手術を中止します。」

といった趣旨のことをいった。

前の日に撮った、MRIで見つかったらしい。

この時、私はまだ、
転移って何?ってぐらいの知識しかなかったので、

「何で手術できないんですか?」

ってしつこく聞いたと思う。

終始、笑顔でね。

最後に、

「先生たちも、大変な仕事ですね。」

って言って
その日のミーティングは終了した。

結局、笑ってたのはオレだけだった。

病室に帰って、オレは考えた。

これで、オレの5年生存率は1%切ったな、って。

で、ふと

「ヤバい、明日、嫁と両親が来るんだった」

って思い出した。

明後日の手術のために、
明日、皆で福岡入りすることになっていた。

「明日、病院に来てから言うか?」

でも、嫁には両親より
1秒でも、先に伝えたいって思った。

「でも、電話でいう話じゃねえしなあ」

「オレ、1年以内に死ぬんだよ」

って電話じゃ言えない。

でも、明日は多分、
おやじとおふくろと嫁は
同じ車に乗ってくる。

「別の車で早く来いよ」

とも言いづらい。

「何で?」

って聞かれるに決まってる。

オレはその時、膀胱の生検の後で
尿カテが入っていた。

チ〇チンの先から管が
入ってたってことです。
(そこだけ、何故だか敬語)

で、おしっこ袋を引っ張って歩いてた。

で、看護師さんに

「熊本に帰りたいんだけど、
尿カテ抜いてもらえるか、
センセに聞いてみて」

って頼んだ。

主治医の先生が来て

「大目玉さん、尿カテ抜くと、
おしっこが出なくなる可能性があります。
もし尿カテを抜くなら
病院から出たらまずいです。」

「でも、カテーテルの先にキャップをすれば、
おしっこ袋は外せます。」

って言われた。

よし、それで行こうってなった。

で、オレはカテーテルを入れて
ち〇ちんの先から、
管を出したまま、高速を運転した。

途中、玉名PAでおしっこした。

キャップを外すと、
元気のないおしっこが出る。

ち○ちんの違和感が
バリバリである。


道中、これまでのことを
振り返った。

オレはがんの告知も一人で受けた。

入院するときも一人で、した。

後悔した。

このまま、熊本に
着かなきゃいいのにって思った。

でも、当たり前だけど、

1時間ちょいで熊本に着いた。

嫁は寝てた。

11
時ぐらいだったと思う。

起こして、いろいろ経緯を話した。

さすがに泣かれた。

こたえた。

この時だけはさすがに

強がるんじゃなかったなあ

って思ったね。

「オレ、死ぬんだよ」

って言うのは辛かった。

思えば、ここまで賭けに負け続けた。

最初のすい臓生検の時、

「がんでーす。」

2
回目の尿膜管生検の時も

「がんだよーん。」

で、転移があったと。

負けっぱなしだぜ。

ところが、
ここからゲームは意外な展開になる・・・。


大体、がんって、なんやねん?

大体、がんって
なんやねん?

(私は関西人ではありません。)

がん病巣というのは、制御が効かず、
勝手に増殖し始めた
細胞の集まりである。

人間の(生物の)細胞というのは
よくできていて、
手のところには、手の細胞ができるし、
足のところには足の細胞ができる。

これは当たり前のことだが、すごいことだ。

だって、手に足が生え始めたり、
膝から新しい手が生えてきたりしたら、
大変だよね。

だから、我々の体内では、
手にできた細胞には、

「手になりなさーい。」

足にできた細胞には

「足になりなさーい。」

って命令する機能があって、

命令に従わなくなった細胞が、
がん細胞なのだ。

だから
胃がんなら、

「おれ胃じゃないもんね。」

と主張し始めるわけだ。

それが、大きくなったのが、
がん病巣である。




そいつが、どんどん大きくなって、
広がることは浸潤という。

人間の身体の機能には
基本的には意味がある。

でも、切っちゃっても
死なない部分があり、その部分に
がんができた場合は、切除すれば
生きることができる。

切れない部分に
浸潤してしまったら
延命治療になる。




更にがんの転移だが、

ようするに、血液や、リンパ液に乗って
がん細胞が全身に
ばらまかれることである。

ばらまかれた、がん細胞は
別のところで、根を張り、育っていく。

手術をして、切ってもまた、
別のところから生えてくる。

切っても切ってもキリがない。

よって、手術をして
患者の体を痛めつけるよりは、
化学療法などで全体の増殖を抑えて
延命しましょう。

となるわけだ。

だから(遠隔)転移が起こると、
化学療法などで、
症状が抑えられる患者もいるけれど
相当、厳しいってなるわけです。

もう一つ、遠隔転移があると
手術をしない理由がある。

一番最初にできた
がん病巣のことを原発巣と言う。

転移がある場合、この原発巣が
転移巣の増殖を抑える
ホルモンを出すらしい。

原発巣を切除すると
転移巣が一斉に
増殖をする可能性が高い。

だから、手術できない。

だからよく、テレビドラマとかで、

先生、転移ですっ。

みたいなシチュエーションがあるけど、
かなりシリアスなわけ。





で、オレの場合。


元々は5月半ばに
手術する予定だった。

その時にはもう、がんは
2つあることがわかっていた。

いつものように、
病院内をパトロールしてて、
泌尿器病棟に戻ってきたら、

「大目玉さん、イチ外科(第一外科のこと)
T先生が探してましたよ。」
と看護師さんに言われた。

その日は手術予定日の2日前、
明後日は手術であった。

ふーん?ぐらいの感じであった。

病室に戻ってしばらくすると、
も一回、看護師さんが来て

T先生、来てますので、
カンファレンスルームに来てください。」

この時も胸騒ぎはなかった。


(長くなったので、続きはまた、アップします。)



2013年11月29日金曜日

治療中に絶対に装備すべきもの、死への覚悟

あなたは、トラブルに遭ったときに
どう対処しますか?



私の最初の事業は失敗した。

二回目の事業、福岡に来たとき、
当てにしていた売り上げが、
リーマンショックで0になった。


売上が0なのに
毎月、約100万の支払いがあった。

資金繰りとは
こんなにつらいモノかと思った。

なにしろ、
月末にやっと支払いを終えると、
来月の請求書がやってくる。

カネはない。

借り入れは膨らんでいく。

600万あった現金は
すぐになくなり、
600万ほど持っていたファンドも解約した。

さらに、銀行から
合計500万借り入れた。

私は軽いうつ状態になった。

息が吸えないという、
パニック障害にもなった。



このとき、私は
3つの精神的なロジックを組み立て、
それに従って、このトラブルを受け入れ、
解決を図った。

少しずつ事業は好転し、
今では笑って話せるようになった。


3つのロジックとは

1、最悪の事態を想像する。

私にとっての最悪の事態とは、
会社を倒産させ、
自分が破産することだった。




2、どうしてもの時は、
1で想像した最悪の事態を
受け入れる覚悟を決める。

会社を倒産させ、破産する。
悔しいことだ。
私のことを無能だと
あざ笑うヤツがいるかもしれない。
これまで支えてくれた妻にも
申し訳ない。

しかし、破産したって、
命まで取られるわけではない。
メシを食うには困らない。
仕事はいくらでもある。
バイトだって、運転手だって、
やろうと思えばなんだってできる。

事業はまた、やり直せばいい。
借り入れだって
5年たてば起こせるようになる。

よし、ハラは決まった。


・・・とここまでを、
毎晩、座禅を組み瞑想しながら
自分に言い聞かせた。




3、最悪の事態に至らないために、
最善の努力をする。

ハラが決まれば、
やることは一つである。

仕事だ。

毎日、トラックに乗った。

油まみれになった。

少しずつお客さんが増えてきた。

現金が出ていくよりも、
入ってくる方が多くなった。

1年で、メシが食えるようになった。

2年で、営業黒字になった。

3年で、トラックに乗らなくなった。

あの時借りたカネは、
去年すべて返し終えた。

4年かかった。





この経験はがんになった時に、
おおいに役に立った。

がんが発覚した時、私は

1、最悪の事態を想像した。

今回は最悪の場合は死だ。

それがゲームの終わりだ。





2、どうしてもの時は
1の事態を受け入れる覚悟を決める。

ひとは皆、死ぬものだ。

少し周りより
早めに逝くことになるが、
それは運命だからしょうがない。






3、最善の努力をする。

がんに関する様々な本を読み漁り、
情報を集めた。

ネットも使った。

週刊誌も読んだ。

ただし、本やネットは
5年以上前の情報である。

学会に論文が発表されて、
エビデンスが確立されるまで、
薬であれ、治療法であれ5年はかかる。

そこで得た情報をもとに、
Q大病院の複数の医師に様々な質問をした。

彼らはがんのプロ達である。
現場の生の臨床経験から得られた
知識、知恵が聞ける。


こちらが、
勉強をし、紳士的に敬意をはらい、
科学的に質問すれば、
丁寧に答えてくれる。

病棟内のラポールの構築にも励んだ。

ナースセンターに
「これ、ウマいんだぜ。」
と言ってケーキを差し入れた。
受け取らないときは、
「オレ、糖尿病なんだけど、
殺す気ですか^^?」
と言った。
彼女たちは
人助けをしたんであって、
賄賂を受け取ったわけではない。

ケーキを掃除のおばちゃんの前で
ナースセンターに差し入れた後、
掃除のおばちゃんに
「ちゃんと、おばちゃんの分も用意してあるよ」
と言って別の美味しいお菓子を渡した。

仲間を全員大事に。

私には、2つのがんがあり、
転移病巣(これは後に良性と診断された)もあった。

Q大の医師たちは多忙の中、
科を縦断して私一人のために、
毎日のようにカンファレンスをしてくれたらしい。

看護師さんは、献身的に看護をしてくれた。
時には、1時間以上話を聞いてくれた。

掃除のおばちゃんは術前、
差し入れをしてくれた。

こうして、私は手術に臨んだ。


病との戦いは現在も継続中である。

仲間のためにも
負けるわけにはいかない。



がん治療において、最も大事なことは、

死への覚悟を決めることである。